「共産主義の国ってのに、僕は行ったことが無い」と思った。僕は資本主義の中で生きとし生けるものであるから、それではどうも世界も狭まってしまう。それであるならば、一番ライトな共産主義の国に行ってみようと考えたわけである。
そんなわけで、本日僕は航空券を1つ購入した。
行き先は、ベトナムの首都:ハノイ行きである。
ベトナム🇻🇳 1日目
ベトナムが運営する航空会社である「ベトジェット」に乗りこんだ。機内に流れている、ハイセンスなベトナムPOPが耳に残る。座席の長さはかなり狭く、176cmのボクは足を曲げるのにやっとである。エアコンの部分からは、コンコンと謎の水蒸気がでている。乗客を見渡してみると、日本人が3割、ベトナム人が7割ほどの割合だろうか。ベトナムの人々は、2席分を広々とつかって横になっている。
およそ4時間のフライトを経て、ノイバイ国際空港に到着した。気になるのが、入国審査が異様に長いのである。社会主義国だから、審査が厳格なのだろうか?よく分からん。
ノイバイ空港からでた。タクシーの客引きをすり抜けつつ、ホテルが手配してくれたタクシーに乗った。はじめてみるベトナムの車窓からは、半裸のおじさんが、高速道路のわきでハンモックをかけて寝ていたのが見えた。
30分ほどタクシーを走らせると、本日宿泊するホテルに到着した。「ゴーフィン通り」という、バックパッカーの集まる有名な通りに宿を取ったわけである。散策に乗り出そうとするのだが、急な雨に打たれる。ベトナムには雨季と乾季があり、この夏の時期は雨季であった。太平洋戦争を語る小説で読んだ「スコール」という言葉を思い出した。現実にある事を知りつつも、この身で体感したことは貴重だった。
ベトナムにはストリート文化が深く根ずいており、屋台がどこもかしこも並んでいる。おそるおそる、その中の一つに顔を突っ込んでみた。フランスパンを使ったハンバーガーである「バインミー」を食べた。店員のおばさんの笑顔は、たいへんまぶしかった。はじめてベトナムドンで支払いをするのだが、0があまりに多いので計算に戸惑ってしまった。おばさんは支払いを手伝ってくれた。
夜は、ゴーフィン通りにあったエッグライスの店に入った。ベトナムの飲食店は、どこも入口に簡素なキッチンがあり、それを奥のテーブルに持ってきてくれるタイプが多かった。おそらくテイクアウト文化が根付いているので、すぐにお客さんに渡すために入口にあるのだろう。店員のお兄さんの笑顔は、たいへんまぶしかった。つい先日に韓国のドライな接客を見てきた私にとっては、衝撃の笑顔だったのである。
散歩中に見つけた喫茶店に入り、ベトナム珈琲を飲んだ。味が濃厚でなかなか美味い。日本ではあまり飲まれない、ロブスタ種という豆を使っているらしい。ロブスタは苦い豆なので、練乳や角砂糖をいれて中和するのである。かつて珈琲研究会の会長をやっていた時の記憶が蘇ってきた。
喫茶店で暇を潰しながら外を眺めていた。ひとつ気づいたことがあるのだが、みんな三角形の帽子をかぶっているのである。ベトナム人が被ってる麦わら帽子のようなものは「ノンラー」というらしい。この帽子はベトナム戦争の象徴として見られることもあるとのことで、今の若者は「古臭い」というイメージを持っている。
さらに気づいたことには、家電メーカーである「LG」やら「Samsung」やら、自動車メーカーである「起亜」やら、韓国企業を多く見かける。Kpopも大音量で流れている。両国の繋がりはかなり強いのだと感じた。
喫茶店で一息ついたので、ホテルへ帰ることにした。それにしても道が歩きにくい。ベトナムでは、50cc以下の原付バイクは免許不要らしい。どうりでおっそろしい運転をするわけだ。みんな原付でビュンビュン吹っ飛ばし、クラクションを鳴らして進む。その中をすり抜けるように歩いていくのだから、歩行者はかなり器用である。
ゴーフィン通りは幅が狭く、建物が密集して立てられている。そのせいもあってか、ホテルのバルコニー同士が丸見えだった。隣のビルに住む女の子と目が合って、笑顔で手を振られる。ぼくはへたくそな笑い方をしながら、なんとか手を振り返した。
ホテルでしばらく休んだので、近くにあったホアンキエム湖という有名な湖へと向かった。道中では、赤い旗が大量に掲げらていた。何かと思って、Google翻訳で調べて見た。どうやらボクは、1945年に、日本軍による支配から独立した記念日である「8月革命」の時期に来てしまった。ぼくは日本人であるから、かなり気まずい。ホアンキエム湖を頭を下げながら歩いた。
ベトナム🇻🇳 2日目
原付が、わき目も降らずに歩道を走っている。なぜ歩道なのに原付が走っているのか、よく分からずにいる。相変わらず道路はバイクと車で混沌としており、歩行者は横断歩道を渡るのでさえも、かなりの技術がいるのだ。
この2日間で気づいたのだが、ベトナムでは英語があまり通じないのである。ベトナム人は外国人慣れしているので、身振りでもなんとか通じる。それでもなお不安が残り、「何がなんでも伝えなければ」と考える力が身についた気がした。
ハノイ旧市街を散策していた。「我々の国は、戦争でフランスとアメリカに勝利したのだ」という誇りをもっていることがヒシヒシと伝わってきた。さらにベトナムは社会主義国なので、ソビエト連邦 (旧:ロシア) の指導者であるレーニンの銅像があったり、北朝鮮の大使館・レストランも見かけた。これは日本には見かけないものであったので、かなりの衝撃を受けた。
何人かの人々と交流をしたのであるが、ベトナムの人々はかなり自信家な面があると感じた。堂々たる話し方や自慢話、自分の顔をアイコンにしていることで読み取れた。その一方で、「男性は働かない。心に傷がついているし、いつでも戦争に行けるようにしないと」とも教えてもらった。たしかに昼間から酒を飲む人は男性しか見かけない。
ベトナム独立の父といわれる「ホー・チ・ミン」の遺体が冷凍保存されている場所があり、運良くぼくも入ることができた。ベトナム戦争を指揮し、壮絶な人生を生きたホーチミンの遺体を見た。その顔はたいへん安らかであった。ボンヤリ見ていると、小さな子供が手を繋いできた。
その子の母親が連れ戻しに来たのだが、なかなか手を離さないので「君のお母さんはこっちだよ」と指を指すと離れていった。ホーチミンの目指した世界も、このような平和な世界だったのだろうか。
ホーチミン廟(ビョウ)から出ようとしたのだが、パスポートが入ったバックを置いていった事に気がついた。入口でのボディーチェックの際に荷物の検査があったのだが、そのまま預けられるのかと思って進んでしまったのである。近くにいた日本人の学生に声をかけて、バックをどこで貰ったのかを教えてもらった。結局、ベトナム警察をたらい回しにされ、無事に荷物保管場所で保管されていた。荷物保管係のベトナム人女性には、たいへんお世話になった。これまでの経験から、「ベトナムの女性は信頼しても大丈夫だ」という気持ちが根付いた。
中年男性が運転するバイクタクシーで、ハノイ市街の周遊ツアーに連れていってもらった。料金を提示されて微妙なボッタクり料金だと気づいたのだが、サイフの許容範囲だったので了承した。年齢は30代で、生まれてこの方、ずっとハノイに住んでいるらしい。途中で飲み物を奢ってもらった。味から考えるに、ヤシの実だろう。まずまず美味しく飲んだ。
バイクタクシーではヘルメットを着用しなかった。顔面に風が当たって、中々に体力が取られるので、1度ホテルへ帰宅した。帰宅途中で感じたことであるが、「人混みの中にホテルを取るべきでは無い」と強く感じた。まず人混みを通らなければならない面倒くささが勝つのである。ホテルの入口で、でかいネズミの死骸とゴキブリの死骸を見た。ベトナムのネズミは手のひらよりもデカい。
ホテルに帰宅した際、あまりに疲れていたせいだろうか、自分が入る部屋番号を間違った。その部屋の人が出てきてしまい、宿泊者であるベトナム女性から嫌な顔をされた。ごめんなさい。
しばらく休んだあと、またホアンキエム湖でダラダラ過ごそうと思って外へ出た。その道中にあった古い喫茶店に入って、練乳珈琲を飲んだ。珈琲を飲んでいると、救急車の音が聞こえてきた。日本と同じ音だった。
ホアンキエム湖でダラダラしていると、おばあさんが笑顔で話しかけできた。何を言っているか分からないので、無言で笑うしかなかった。
ホアンキエム湖で調べたのだが、東南アジアの多くの国では、女性が勤勉な一方で男性はあまり積極的に働かない傾向があるとのこと。中南米や東アフリカなどにも同様な傾向は見られるらしい。僕もそんな感じがした。
また、ベトナムでは兵役があるそうだ。対象者は18歳から25歳の男性で、期間は約2年間。今ここにいるほとんどの男性は兵隊なのかと考えると、その凄さを感じる。
警備をしている人の制服を眺めていると、灰色と緑色の2種類があることが分かった。警察は緑色、公安は灰色だそうだ。ベトナムは世界腐敗度ランキングで106位で、警察も賄賂が横行。あまり信用出来る職業でもないらしい。湖を原付で走っていた人が、警察から注意を受けていた。
ベトナム🇻🇳 3日目
コインランドリーが近くになかったので、下着を手洗いした。個人商店はあるのだけれども、学生の身分でそこまで贅沢をするべきではないだろうと考えたのである。技術の発展に深く感謝すると共に、世界中を強く生きていける気がした。
トレインストリートに行く途中で、バイクタクシーのお姉さんに話しかけられた。現在の年齢は24歳で、薬学を学びながら学業を稼いでいるらしい。つい昨日にバイクタクシーで微妙なぼったくりにあったばかりなので、お断わりした。しかしながら、「すぐそこだから」と言ってタダでトレインストリートまで連れていってくれた。
トレインストリートで写真を撮ってもらい、本当にそのまま帰ろうとされた。かなり申し訳なくなったので、走っていくバイクを急いで呼び止めて、「明日の朝にタクシーをお願いできないか」と伝えた。
明日はアメリカのお客さんから予約が入っていると断られ、「私をつかまえたいなら、今しかないよ」と言われた。ここまでやられたら、ぼったくられてもしょうがない。色々と諦めながらバイクタクシーに乗った。値段ポッキリでツアーをしてくれて、たいへん良かった。ビアホイ通りで下ろしてもらい、少しのチップを渡した。
ホアロー刑務所へ行った。ホアロー刑務所とは、共産主義を目指した革命家たちを捉えていた牢獄である。等身大の人形が作られていて、当時の状況をそのままに再現されていたので精神的に来るものがあった。「共産主義革命家」たちが英雄扱いされている状況を見て、異国を強く感じた。
ホアロー刑務所内で、男性が女性に無理やりキスをしていた。女性は走って逃げていた。まさしく、牢獄からの脱走犯である。
帰宅途中で、またホアンキエム湖へ寄った。ボクの横に座っていた警察官が、ホアンキエム湖の中へアイスクリームの袋をポイ捨てしていた。そのあと、お年寄りに席を譲っていた。礼儀正しいのか無礼なのか、どっちかにしてほしい!
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