平川村は合併後山口市の一地域(平川地区)となっている。
1970年代以降、吉田地区に山口大学(本部キャンパス)が移転したことにより、学生を中心に若者が多く暮らすエリアとなっている。
Wikipediaより引用
山口県山口市平井。山口大学の学生が多く住んでいる住宅街として有名である。
しかしながら、ただの住宅街ではない。大内氏・毛利氏の家臣による豊かな歴史。パン屋や郷土料理、とれたて市場など、おいしい飲食店が目白押しの街なのである。
『山口市:平井地区を、かってに観光地化していく。』
私がすんでいるのも、山口市平井地区です。毎晩怒号が飛び交っていたアパートの隣人は警察に連れていかれてしまったのですが、比較的すみよい街だと思います。
サイト限定:観光マップ
平井地区とは、平川から山口大学までの間である。おおくの学生が住んでおり、文化交流も活発。
寺内正毅:誕生の地
「ビリケン宰相」の異名を持つ、寺内正毅。
なにを隠そう、山口市平井の生まれである。
13歳で、大田・絵堂の戦いに参戦。
13歳…。13歳!?
僕なんか、13歳と言えば秘密基地づくりにいそしんでいた時期である。あまりにも精神的に大人すぎるだろう。
ちなみに、政治家としての評価はあまり良くない。政党員を内閣として参加させていない事から、非立憲主義(憲法に反した政治を行う)と批判された。シベリア出兵を指示したのも、この人。
しかしながら文庫の設立や、漢詩人としてもすぐれていたなど、文化保護の一面もみられた。山口県に住むものとしては、あるていどの尊敬があるわけである。
姫山城
築城年はさだかではない、戦国時代の「山城」である。内藤隆世(ないとう たかよ)、宍道隆慶(しんじ たかよし)などの大内家家臣が入城した。
内藤は、「陰から操られていた主君を見捨てられず、最後まで寄り添い続けた」みたいな良い人であった。自らが身代わりになって、なんとかして大内家を救おうとした人物である。
宍道は、わりとコロコロ主君を変えて、どこでもやっていける感じの人。現代社会では、こっちの方が生きやすそう。
いまでは城郭遺構がいくらか残っているが、原型の復元はされていない。いつか城を復元して観光地にしてみたいなあ、とボンヤリ思っている。
日吉神社
平井村の氏神様(うじがみさま)がまつられている、小高い山の上の神社である。階段を上りきると、山口市平井地区の街並みが、隅々まで見渡せる。
943(天慶6)年の創建といわれるが、1625(寛永2)年社殿が焼失し現在地に再建された。
「爆弾3勇士」の絵画が奉納されている。日本が国際的に孤立して戦争の道に進んでいく中で、3人の若者が敵陣に向かって爆弾を抱えて走り出す姿が描かれている。
なかなかに悲惨な歴史であるから、ぜひご一読ねがいたい(文秋オンライン)。
爆弾とともに突撃自爆! 残酷すぎる「肉弾三勇士」に人々は熱狂した
小さなパン屋カイザー
毎朝10時から18時30まで開店している、小さなパン屋カイザー。名物のマロンパイが有名で、ボクもよくパン買いに行く。
小さな店内には、いつもお客さんでにぎやかである。
季節限定品、曜日限定品、1年に1度の限定品など、毎日のようにイベントが目白押しなのが特徴。昨日行ったのに、今日は違うパンが並んでいることもよくある。
ひらかわ朝市
JA山口県より引用
開催日 月・水・土曜日 開催時間 8:00~11:00
平川地区では、2日に1回の朝市が行われている。僕も珈琲を販売するために朝市に参加させてもらおうかと思って、JAに連絡をしてみたことがある。
しかしながら早起きが苦手なので、
辞めておいた。
ばんちゃ屋
営業時間:11時~21時
定休日:火曜日
平井地区の住民がこぞって利用する、「お食事処ばんちゃ屋」。一度は必ず行ってほしいのだが、そのボリュームの多さに驚くだろう。
チキン南蛮やから揚げなどの定番定食から、瓦そばや山賊焼など山口名物まで。メニューが豊富で、山口県の魅力的な食材を味わうことが出来る。
最後に
いかがだったであろうか。
ただの住宅街ではなく、日本の近現代史を凝縮させたような街だと感じて頂けたらうれしい。
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